「時代に合わせて仕組みを変える必要がある」明治創業・旭館の女将が語る、”旅館業の今と昔”

妙義山の麓、磯部温泉旭館。富岡製糸場が現役だった明治時代に創業し、群馬で最初の県令・楫取素彦の別邸宿として愛された旅館です。

 

風情のある和室はもとより、四季折々の自然とともに楽しめる大きな露天風呂が最大の魅力。磯部の良質なお湯で身体をあたため、心を癒やして、気持ちの良い朝を迎えることができます。

 

今回は、この宿で5代目女将をつとめる宮川雪江さんへのインタビュー。100年以上の歴史を持つ旅館から見える景色、そして宮川さんご自身のことを伺いました。

家業を継ぐのが「あたりまえ」な時代だった

──まず、宮川さんの生い立ちを伺いたいです。どのような流れで旭館の女将になったのでしょう?

「実は、旅館業は4つ離れた兄に任せるつもりで、私は英語の教師になろうとしていました。東京都内の大学で英文科に通って、そのまま群馬で採用試験を受けようとしたのですが…当時の倍率が……なんと24.5倍!

──24.5!?今では考えられない倍率ですね…。

「当然落ちてしまったのですが、教師の道しか考えてなかったので他の職業を全く考えていなくて。就職浪人するのも嫌だし、どうしようかな…と考えていたところ、なんとなく顔を出した学生科で『銀行の募集なら間に合いますよ』と言われて。」

──銀行ですか。いいですね。

「実は両親がどちらも銀行出身なんです。父が群馬銀行、母が横浜銀行。しかし娘の私は別に銀行に魅力を感じていたわけでもなく、そもそもソロバンすら出来なくて(笑)。でもなぜか横浜銀行に就職が決まったので、銀行を足がかりにして英語教師に転職してやる!と企んでいました。」

──たくましい!そして当時の銀行員にとってソロバンは必須スキルですね。

「母親に『おまえ、ソロバンくらいできなきゃカッコつかないぞ』と言われたので…。ガキンチョだらけの塾に通って、寝る間も惜しんで特訓して、2ヶ月で2級を取ってすぐにやめてやりました。

 

それで無事に銀行員になれたんですけど、銀行の仕事は最後までよく分からないままでした。とにかく小切手みたいな紙切れが回ってくるから、これを処理すればいいんだなくらいの理解度で(笑)。結局7年ほど働きましたけど……。」

笑顔がおちゃめな宮川さん

──そこから旭館の女将になったわけですよね。どんなきっかけがあったんでしょう?

「銀行員として働いていたある日、『お前戻ってこい!』と実家から突然お呼びがかかりました。どうやら兄の事情で旅館の経営ができなくなったらしく、妹のお前しかいないと。私はこのまま東京で働いていたかったんですけど、家業を絶やすわけにはいかないので受け入れました。」

──磯部ガーデンの櫻井さんもおっしゃっていましたけど、「家業だから」という理由はとても強いんですね。

「もうその日から40年です。家業を継承することに抵抗もなにもありませんよ。それが当たり前の世界に育ってますからね。この仕事が好きとか嫌いとか、口では言ってるけど、自分に振られたらやるのは当たり前。だけど時代が変わっているし、それも私の年代まででしょうね。」

──そうなんですか?

「この勤務時間と体制では、やりたがる人が少ないと思いますよ。私も、自分の子供に強制なんてできません。」

「玄関を開けておけば、お客がどんどん入ってくる」

旭館のロビー。右側に見えるのは桜の木で、春になるとここで花見ができる

──そういえば、僕たちは「旅館の女将」という仕事についてあまり知らないかもしれません。

「基本的に睡眠時間は短いし、ずっとハードワークですよ。私なんかは旅館の家に生まれ育ってるから『そんなもんだね』と言えますけど、一般ピープルには辛いと思います。これからも旅館を継続していかなきゃいけないところは、体制を変える必要があるんじゃないですかね。」

── 一見華やかな仕事に見えますけど、やっぱり体力が要るんですね。伝統的に女性の仕事の割合が大きい世界なんでしょうか?

「どんなにしっかりした旦那、お父さんがいても、第一線に出るのは女。これが通常なんです。家庭でどんなに嫌なことがあっても、絶対に笑ってなきゃいけない。お客がたった1人でも丸1日働く。そんな大変なことを、これからの世代の人に求めるべきじゃないなと思いますよ。」

──確かに、それは大変かも……。

「でも旅館業は、過去はすごく儲かる仕事でした。金融機関が旅館だけの特別貸付枠を用意するくらいですから、それだけ利幅が大きくて”良い商売”だったんです。金利も9.75%くらいだった気がします(笑)」

──9.75%………倍率24.5倍に続いてクラクラしそうな数字です。

オリンピックの効果もあって、玄関を開けておけばお客がどんどん入ってくるんですよ。昭和57年、露天風呂を作る際に3000万円(今の経済だと2億円くらい)借りましたけど、あっという間に完済できてしまいました。」

──強すぎる……。

「朝酒朝風呂、夜はふらっとどこかへ遊びに行く。これが当たり前なくらい儲かっていたみたいです。だから、旅館はみんなから羨ましがられる商売で、私も十分に贅沢して育ちました。」

小さな旅館だからこそ、小さな喜びを積み重ねる

妊婦さんや子供連れの場合は貸切利用を提案するという内湯

──現在は集客にインターネットが必要だったり、お客さんの求めることが増えたりしていて大変そうです。そんな中、どうやって継続できているのか知りたくなってしまいます。

「常連さんの存在が大きいですね。磯部温泉は近隣にゴルフ場が多くて、しかも温泉宿の中でトップクラスで雪が降らないから、ゴルフのお客さんが例年たくさん来てくれるんです。

 

こちらとしても常連さんのことは大切にしたいから、常連さんが来たら受付を通さずに直接お部屋に通しちゃうんですよ。」

──旅館に入った途端にお部屋に案内されたら、確かに嬉しいですね…!

「あと、お客さんそれぞれの特徴にも気を配っているんですよ。例えば、なぜだか毎回お布団の下に座布団を入れてテレビ見ている方がいたから、それに気づいてからは先に座布団を突っ込んどくとか。

 

常連さんじゃなくても、お子さん連れだったら部屋におもちゃを用意したり、壺などの割れ物は手の届かない位置に移動したり。旅館に到着した時点でお母さんの腕の中で眠っていることもあるから、お布団もあらかじめ敷いておきます。」

──そこまでするんですか…!それは助かりますね。

ちっちゃいかもしれないけど、そういうことの積み重ねでお客さんが喜んでくれますから。こんな個別対応は、小さい旅館だからこそできることかもしれませんね。大きい旅館はマニュアルがあって、イレギュラーが認められないことが多いでしょ。

 

でも逆に、やってあげすぎてサービスの押し売りみたいになっちゃうのも嫌で。『必要なことがあったら、それを迅速に解決する』くらいが心地いいのかなと考えています。」

これからのこと

──明治の創業から122年。これからの時代、どうしてゆきますか。

自分のやりたいようにやって死のうかな!と思っていますよ。せっかくウチみたいな小さい旅館を選んでくれてるお客さんに、『これなら大きいところに行けばよかった』と思われないように頑張っていきます。ちょっとの面倒くささで叶えられるものなら、こっちでなんとかすればいいんですよ。」

──後継者は決まっていますか?

「いまも仕事を手伝ってくれている娘が継ぐことになっています。でも、現在の仕組みのままではずっと続けることは難しいだろうから、時代に合わせてシステムを変えていく必要はあると思っていますよ。」

Information

群馬県 磯部温泉
天然温泉露天風呂 旭館

公式サイト
・住所:群馬県安中市磯部1-14-2

この記事を書いた人

市根井

群馬県出身・在住。小さな地域編集プロダクション、合同会社ユザメ代表。
地域の持続と豊かな暮らしのために走り回っています。